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件名 Re: Re: Re: Re: Re: 当時の様子第83話〜巨人戦ナイター
投稿者 2期 なんしょんです
投稿日時 2012/07/23 10:24:51
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記事 > >特に、江夏がオールスターゲームで九人連続三振を取った場面は圧巻でした。当時、パのあの強力打線をまさにバッタバッタとねじ伏せたのでした。
> これ、同時代で経験しているはずなのですが、野球には全く興味がなかったので、覚えていません。

江夏は現役時代の後半は「抑え」でした。
山際淳司作著「江夏の21球」を読むと、何か胸を塞がれるような、それでいて温かくなるような感じがします。

> >乱闘の後、交代したピッチャーから王が頭に死球を受け、その直後、長島が怒りのホームランを叩き込んだシーンも忘れられません。
> ああ〜、これは覚えています。巨人の星の場面にも出てきますよね。しかし、バッキーだとまでは知りませんでした。
> 懐かしい名前です。わかる人にしかわかりませんね、この話題は。

村山の投球フォームは、「ザトペック投法」と呼ばれていましたね。
当時の選手は、投打ともに非常に個性的なフォームをしていたように思います。その分故障も多かったかも知れませんが、すごく記憶には残っていますね。
こういう話になると止まらなくなりそうです。

> >長島巨人の一年目は私たちが高校二年の年でしたね。
> よく覚えています。そうか、二年のときか。今から考えると、あのときが一番青春していたと思います。悩み、鬱屈していましたが、それがそもそも青春でした。

大人になっていくための通過儀礼というか、何となく中途半端な年代っていう感じでしたかね。
何となくいつも得体の知れない何かにイラついていたように思います。

> >大リーグボールですね。
> そう、三号の投げるマネだけしていました。三号が一番、非現実的ですよね。

とにかく、「巨人の星」はスポ根ものの熱血感動巨編としては、永久不滅の金字塔を打ち立てましたね。
ストーリーの随所に当時の出来事や世相がちりばめられています。

> 当時は、子供でも火遊びはよくしていました。
> それに、ダイオキシンとか騒がれていなかったので、団地にゴミ焼却場があって、いつも自分でゴミを焼いていました。

火遊びというより、焚き火でしたかね、
焚き火をしていると、何となくその周りに人が集まってきていろいろ語り合うという光景がありました。
秋から冬の夕方、時々は落ち葉の下に芋を忍ばせて焼きあがるのを待つ・・・みたいな。
焚き火の炎をみていると、変に気持ちが落ち着いたような気がしました、焚き火道みたいなものがあったのですかねぇ〜。
いずれにしても古きよき時代でしたかね。

> 何しろ、女に好かれるヤツは、総て敵視していましたから。質実剛健の男子校に通っていた私は、趣味は登山、スポーツは武道、読む本は、お経でしたから。

その徹底ぶりにはある意味敬服します。私はチャラチャラしていましたので・・・・それで現役時代は没交渉だったんですかね。
それが今ではこうして語り合っている・・・「愛燦燦」の歌詞ではないけれど、本当に、人生って不思議なものですね。