件名 |
Re: Re: 当時の様子第82話〜新しい県立高校 |
投稿者 |
2期 ハゲ田舎おやぢ |
投稿日時 |
2012/07/11 10:33:31 |
情報 |
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322; .NET CLR 2.0.50727; InfoPath.2) |
記事 |
> 県の百校計画の初っ端だったということも、入学後かなり経ってから知ったように思います。
この百校計画、当時は、かなり斬新なことだったのではないでしょうか。 当時の神奈川県知事と横浜市長は、長洲知事と飛鳥田市長でしたか。どちらも有名人です。 といっても、誰ももうわからないか。
>今の時代だったら、設備もろくに出来ていないのに開校するというようなこと自体がそもそも通らないかもしれないですね。
そうでしょう。なにしろ間借り、しかも、プレハブ、山奥の分校みたいでした。 で、新校舎に移ってからは、本当に山奥の分校みたいな生活でした。
>英語のミスター山本ですね。授業中によく話が脱線して、自然食について熱く語られていたのを覚えていますよぅ。
あ、そうそう、そうです。 きっと長生きするのでしょう。
>『開校の歌』の歌詞にもありますように、「胸中(むね)清新」、「意気溌剌」を地で行っていたと思います。私は一期生とはけっこう濃かったので、先輩との思い出という点ではひとしおですねぇ〜。
う〜む、確かです。良い時代だったように思います。
>多かれ少なかれ青春時代には、自己嫌悪な思い出がつきものなんじゃあないですか? だから酒呑んだときなんかにいろいろ出てくるんですよねぇ〜
なるほど、鋭いご指摘、確かにそうですなぁ〜 この言葉、こんど使わせて貰います。
> 今思えば、通常では体験できないことを体験できた、とても楽しい日々だったように思えるのが、実に不思議です。 >特に、開校当時の世代はその思いが強いと思います。
そう、使われない教室、がらんとした校舎、全校生徒が確か最上階の図書館横のスペースに入ることのできる人数でした。 しかし、当時は嫌なことが多く、早く抜け出したいと思っていた高校なのに、今、この年齢になると、もう一回行きたくなるのは、どうしたことでしょう。 精一杯、生きていなかったということなのでしょう。残念です。
> 母校はその姿を変えてしまいましたが、これから港南台高校二期生として、旧制高校だらうが、進学校だろうが、スポーツ強豪校だろうが、負けずにホコリじゃない、誇りをもって過ごしていきたいと思っています。 >こういう思いは、世代を超えて持ち続けたいですねぇ。
全くです。 高校の古さを言うのなら、流星の如き、一瞬の輝きを言いましょう。 高校の存続を言うのなら、同窓会の活発さを言いましょう。
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