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Re: Re: 2011年9月23日現在の港南台高校校舎と校庭、体育館 |
投稿者 |
2期 ハゲ田舎おやぢ |
投稿日時 |
2011/09/28 14:22:52 |
情報 |
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記事 |
>各駅ごとに車窓から見える風景は、ホントに変ってしまいました。 そう思うのは自分の中にいろいろ当時の思い出が詰まっているからですね。
高校の頃に見た港南台から横浜までの根岸線の沿線の風景は、忘れられません。 今は、シーサイドラインとか、新しい道路やビルが建設されていて、当時の面影は全くと言っていいほどありません。
山手駅の広告の無い佇まいは一緒でしたが、駅舎が古くなり、所々塗装が剥げていたりして、逆に広告があった方がきれいだろうなと思ったくらいです。
>歩道橋もそうですが、当時はまだまだ交通量も少なくて、勝手に道路を横断していたように思います。
信号も無かったような気がするのですが、そんなことは無いか。 横断歩道があったのですね、きっと。
>賢明な判断です。この歳になって変質者呼ばわりされたらシャレにならんもんね。
全くです。港南台卒業生、立野高校の女子生徒を盗撮、なんていう記事になったら皆さんに顔向けできまへん。
>おそらく、完校が決まってからはろくすっぽ修繕もされなくなってしまったんだと思います。 長い間、風雨に耐えてきたっていうのにね・・・・
確かに、壊されることを前提とした使い方のような気がしました。 校舎の周りにある植木も倒れ放題でしたし、 濃い緑色の水が溜まったプール付近は近寄れないような感じで、テニスコートは雑草に覆われようとしています。
>植栽の大きさには驚かされますよねぇ〜。 >当時は、植えたばかりでひょろひょろだった木々が、今では欝蒼としていますからねぇ〜。
植栽だけは緑がきれいで、いい風景でした。 見栄えのよいキャンパスみたいな感じです。
>我々も身体のそこかしこが痛くなる歳なんですから、校舎だってねぇ・・・・・・ >残念な思いも多々あったかもしれませんが、現存している間に訪れることができてよかったと思いますよ。
確かです。 それにしても馬鹿だったのは、最後の文化祭に行けば良かったんだ。
もう一度、図書室や、その側にあったと思われる広い部屋、そして視聴覚室なんかに入ってみたいと思っています。
> そうでしたか・・・あまり悲観的にならないで下さいよ。 >私も大いに共感する部分はありますが、昔の大切な思い出と現実は分けて捉えています。 >しかし、確かに足を運んでくれてよかったと思います。
昔、空き地を利用してサッカーをやっていたときに、ゴールポストは設置しっぱなしだったと思うのですが、それがどのへんかもわかりませんでした。
団地があんなに沢山立っているとは思わず、昔プールを使っていた焼却施設への道もよくわからなかったのです。
駅前のバーズに入ってみようかとも思いましたが、歩きつかれたので、一階にあるスターバックスでカフェ〜でも飲もうと覗いたのですが、混雑していたので、反対側にある横断歩道を渡ってドトールの二階で一休みしました。
コーヒーを飲みながら、高校の頃から三十年以上を経て、まったく様変わりした港南台の町並みの中に自分がいることが、凄く不思議な感じがしてたまりませんでした。 都市的なモダンさともいえる雰囲気と、私が覚えている住宅ができはじめた空き地の多い場所とは、全くといってよいほど共通点が見つかりません。
もう一回いくと、駅前には空き地が広がり、線路側の道路を歩いていけば、やがて港南台の白亜の校舎がぽつんと立っているような気がして、なかなかこのイメージは消せません。
駅に向かい、港南飯店でラーメンを食べることができなかった私は、前回見ていた駅構内にあるそば屋に入ることにしました。駅内からと駅の外からも入れる構造になっていて、私達の頃には絶対入ってくることのない女子高生が二人、食べ終わった後も水だけ飲みながら、テーブルについてなにやら話をしていました。
時代が変わったと思いつつ、天ぷらうどんを食べ、へぇ〜、こんな構造になるとは、高校時代には考えられなかったなぁと感慨に浸っていると、校歌祭の打ち上げ会場の連絡が入り、関内へと急いだのです。
23日は非常に濃い時間を過ごすことができて、校歌祭を準備された大鶴さんや、皆さんに感謝致します。
口パクとはいえ、横浜芸術劇場の舞台に立ったということは、小学校から音楽を五段階評価のうち二で通して来た私には画期的な出来事でした。 家族や友人に自慢しています。
舞台デビューですからね。 |