開校当時のお話 掲示板
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1期 (1973年4月入学〜1976年3月卒業)
2期 (1974年4月入学〜1977年3月卒業)
3期 (1975年4月入学〜1978年3月卒業)
4期 (1976年4月入学〜1979年3月卒業)
5期 (1977年4月入学〜1980年3月卒業)
6期 (1978年4月入学〜1981年3月卒業)
7期 (1979年4月入学〜1982年3月卒業)
8期 (1980年4月入学〜1983年3月卒業)
9期 (1981年4月入学〜1984年3月卒業)
10期 (1982年4月入学〜1985年3月卒業)
11期 (1983年4月入学〜1986年3月卒業)
12期 (1984年4月入学〜1987年3月卒業)
13期 (1985年4月入学〜1988年3月卒業)
14期 (1986年4月入学〜1989年3月卒業)
15期 (1987年4月入学〜1990年3月卒業)
16期 (1988年4月入学〜1991年3月卒業)
17期 (1989年4月入学〜1992年3月卒業)
18期 (1990年4月入学〜1993年3月卒業)
19期 (1991年4月入学〜1994年3月卒業)
20期 (1992年4月入学〜1995年3月卒業)
21期 (1993年4月入学〜1996年3月卒業)
22期 (1994年4月入学〜1997年3月卒業)
23期 (1995年4月入学〜1998年3月卒業)
24期 (1996年4月入学〜1999年3月卒業)
25期 (1997年4月入学〜2000年3月卒業)
26期 (1998年4月入学〜2001年3月卒業)
27期 (1999年4月入学〜2002年3月卒業)
28期 (2000年4月入学〜2003年3月卒業)
29期 (2001年4月入学〜2004年3月卒業)
30期 (2002年4月入学〜2005年3月卒業)
31期 (2003年4月入学〜2006年3月卒業)
32期 (2004年4月入学〜2007年3月卒業)
33期 (2005年4月入学〜2008年3月卒業)
34期 (2006年4月入学〜2009年3月卒業)
教職員関係者
周辺高校関係者
港南台地区関係者
その他
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> > 別次元なんて、とんでもないです。 > > ただ今思えば、1期生って港南台高校に思い入れがありつつもあっさりしていたというか、新しい学校を自分たちで作って行こうと思いつつ、出来上がってしまえばすぐ次のことのに関心が移ってしまうというような・・。 > > 大人というか、近寄りがたいというか、多士済々みたいな感じでした。生徒会とか、部活とかでも自分をお持ちでしたよね。大学入ってからマネしてましたね。「なんしょん」さんかなんか先輩方にどういう思いでしょうか。 > > 今、脳裏にある場面なんですが、生徒会の役員選挙演説のときだったと思うのですが、一期生の候補者の演説前に応援演説の方が、捕捉でサッカー部の行事予定をその場を借りて宣伝しました。なるほどこういう場の活用方法というものはいろいろあるものだと、その応援演説を聞きながら感心しておりました。やがて各候補の演説も終わり、最後に事務担当の一期生が他に質問ありませんか、と締めの言葉を発すると、会場は(一期、二期しかいませんでした)終わりを待つ雰囲気で静かになっておりましたが、突如、一期生の中でも中心的存在として二期生には映っていた白皙の男子生徒が「サッカー部の○○行事はいつですか」と、シジマを破って叫ぶように問いかけたのです。 > オ〜、グッドタイミング&横紙破り的頼もしさ > この、先生も居る場での存在感ある一言は、後々の私に多大な影響を与えました。大学での学部合同シンポジウムや、OBもいる部活での発言等、臆することなく行動する指針となりました。 > 名前は存じ上げませんが、当時の先輩には感謝しております。 > > > 大学を辞めてきましたから、ヨーロッパいきましょう。」と言って、現役で入った国立大学を中退してしまって、度肝を抜かされた思い出があります。 > > オオ〜、同志会的というか、本格派ですね。う〜む、こういう後輩がいたのか・・・ > 「手の指が欲しいのならくれてろう、足の指も欲しけりゃ持っていけ、だが、最後には俺がお前の頂上にたってやる」という、冬山が怖いという私みたいなのとは天と地程の開きがあるクライマーですね。 > > > 長谷川恒夫氏の遠征隊に参加してフィッツロイへ行き、その後しばらくの間アシスタントガイドをやっていました。4期のM君,N君も確か長谷川恒夫氏の隊でナンガに行ったのだったと思います。 > > クワ〜、出ましたね、当時のツワモノの名前が。 > 当時私は先輩が開いたアルパインツアーという山旅の会社でお世話になっていました。長谷川事務所の方々も来社されており、もしかしたら遠くから眺めて、凄いなぁ〜と羨望のマナザシで見ていたかもしれません。三大北壁後、あまり恵まれた成果は出せませんでしたが、長谷川さんは困難な山を狙う代表的クライマーでした。その隊に我が校の後輩が名前を連ねていたとは、全く知りませんでした。 > ナンガといへば、魔の山ではないですか。やるなぁ〜、ヒマラヤ鉄の時代そのものですね。 > > > 確か鷹取山だったと思います。 > > 当時は、まだ登山靴でクライミングしていた頃です。 > > ハイキング程度の山行だって、三点支持は必要だし、岩場だって縦走コースにはあるし、必要ですよね、クライミングの知識と技術は。 > そう、登山靴でした。沢登りだって、「馬鹿野郎、冬の練習にならんじゃないか」と言われ登山靴で登ってましたから。 > > > 私も、雪崩で仲間を失ったり自分もヘリで運ばれたりと > > 言うような事もあって、子供が生まれてからは冬山からは遠ざかっています。 > > う〜ん、やはり、こういうことはつきものですよね。 > だから、逆に社会に出ると、別に命取られる訳じゃなし、なんて甘く見てしまって・・・ > > > 現在は、ジム通いのプラスチッククライマーとなっています。 > > それ、実は凄いことですよね。ジムは二回程度しか行ったことはありませんが、本チャンより難しいじゃないですか。だから、「フン、命の危険のねえようなところ登ったって」と、若い体操選手みたいなやつを見ながら、薄ハゲの私は毒づいてマス。 > > > 私達は登山靴で登攀した最後の世代とかもしれないですよね。 > > 寂しいですね。長谷川恒夫、小西政継、山田昇、植村直己と当時のマスコミを騒がせたエキスパートクライマーは山で亡くなり、我々の先輩も徐々に現役を引退し、国家事業的な遠征登山の時代は終わってしまったのですから。 > > > > いつの日か再びヨセミテの壁に取り付けるチャンスが訪れる事を夢見ながら、今のレベルを維持すべく通ってますから・・。 > > 私の先輩はJECCで鳴らしていた時代、日本でもごく初期の頃、ハーフドームを登って帰って来ました。それまでの四級とか五級の岩から5.11等という難易度の壁の存在を知らされ、全く登れなかったことを覚えています。 > 先輩も実は知られた存在なのではないですか。 > しかし、港南台の山の系譜は凄いなぁ〜 > > > ところで、話がそれまくってしまいましたが、良いんでしょうかねぇ。 > > こういう話はやっぱりアルコールのある場でやるべきでしょうね。皆さん、すみません、マニアックな話ばかりで。
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港南台高校 同窓会