開校当時のお話 掲示板

Re: Re: 当時の様子第71話〜港南台高校として残したいもの

2期 ハゲ田舎おやぢ
(2011/03/04 10:55:38)

>先週末に以前から燻っていた風邪がモロに悪化し、ただただ横になっていました。
50を超えるとさすがに無理が効かなくなってきますね。痛感しています。

往年の陸上部のスターも、ついに風邪でダウンですね。
体のアルコール消毒が必要なのでしょう、きっと。
予定が空き次第ご連絡ください。会長と連絡とって日にちをきめましょう。3月無理なら4月で。

> 昭和49年、この年は忘れません。 高校受験をした年だからです。同時に港南台高校に入った年でもあります。
>そうですね。いよいよ大人でも子供でもない年代に突入した年でしたね。

お〜、ピッタリな表現、まさにそうです。
自覚もさせられますね。

> ナヤンでおりました。
> 私も今思えば、意味もなくイラついていたように思います。とにかく「意味もなく」っていう感じでした。

う〜む、青春だなぁ〜
みんなそれぞれあるんですね。
でも、やたら懐かしいです、つまり、トシ喰ったということなんでしょうけど。
懐かしい = 寂しい という等式が成り立ってしまうなぁ〜、残念ながら。

> 杉田界隈もそうですが、京浜急行からの景色も横浜に住んでいたときのことを思わせる、昭和の匂いがしてきます。
>京急は横浜市内に入ると、当時の思い出を彷彿とさせる風景が随所に残っていますよ。特に上大岡から下りはそうです。

そうですね。私は横浜から上大岡までを毎日のように見ていたので、以前のビルが見えなかったり、古くなっているのを見ると、寂しいですねぇ。

>変わったといえば、能見台駅は以前は谷津坂駅でしたし、YRP野比駅はただの野比駅でした。

これ、なんでかえちゃったんだろう。谷津坂って歴史ある由緒正しい地名だろうに。
不動産を売り出すためのネーミングだとしたら、いずれ埼玉が攻めて神奈川を攻略したときに、元の地名に戻させて頂きます。
それから新設高校を復活させて、古い旧制高校は役割が終わったとして、解体整理します。

それに、このYRP ってほかになにかなかったのかね。

そういえば、この前ネットで以下の港南台に関するホームページ見つけました。
あの、山を切り開いたばかりの頃からはとても想像できないくらいに、港南台地域の活動は活発なんですね。

http://www.e-town.ne.jp/kounandai/index.html

http://www.town-cafe.jp/kounandai/index.html

>京浜東北線も磯子止まりが洋光台まで伸びて、その後大船まで延伸したのでした。

あ、そうでした。そうでした。名称が根岸線でした。
このまえ屏風ヶ浦駅近辺を走る京浜急行の車窓から見えたのですが、磯子駅も新杉田駅ほどではないですが、近くなんですね。

>みなとみらい地区があんなことになるとは、当時はまったく予期しませんでした。
当時は伊勢佐木町あたりが文化の中心で、ものすごく活気づいていたように思いますが、今はすっかり廃れてしまいましたね。

伊勢佐木町、寂しいです。
元町と同じくらいだったのに、知名度の差なのですかね。
ゆずがいたころにうまく展開できなかったのだろうか。

>横浜駅西口も再開発を控えています。

そうですか、また変わってしまうのか。
でも、しかたないですよね、昭和49年、1974年なんて、今から、アナタ、ほぼ40年前ですよ。そりゃ、変わるワケだ。

でも、西口の有隣堂は健在でした。
ちょっと間取りは変わっていましたが、存在していました。
壁がなくなったように思うのは気のせいなのかもしれませんが、昔とは違う雰囲気になってしまったのが残念です。
ま、これもシカタないか。

>誰しも当時の思い出を象徴する場所って奴があるんでしょうね。
>自分の場合はどこになるんだろうな? 年代的に、初めて○○した場所(不純な意味ではありません)って奴がけっこうあるように思います。

活動範囲が広がる年代ですから、物理的にも広範囲になってきます。
よく、渋谷の本やにも行きました。
大盛堂、三省堂、紀伊国屋とありましたね。
大学のころもよく使ってました。

>有形無形取り混ぜていろいろありそうですね。ひとつ考えてみますか。

校門前に陸上部を代表して、なんしょん先輩の練習している姿の銅像ですね。
いや、ちがうな、開校の歌の歌碑、なんてのはどうだろう。
スイッチ押すと、歌が流れてくるやつ。

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