開校当時のお話 掲示板

Re: Re: 杉田−新杉田間見てある記
2期 田舎おやぢ
(2010/08/02 13:20:24)
>横浜以南で京急からJR(当時はまだ国鉄でした)に乗り換えるには、杉田・新杉田ルートしかないですからね。毎朝、ダラダラ通いました。
薄暗いアーケードの中を、知っているけど話したことはない顔を見ながら歩いていきました。くらかったなぁ〜。
>小さな本屋でしたが、確かにありました。何とか書房とかいいましたっけ?
あ〜、やっぱり覚えていましたか、そう、小さな本屋さんでした。名前までは出てこないです。すぐ前の餃子ラーメン店が混んでいるとき、立ち読みで時間潰していましたが、おやじにいやな顔されました。ラーメン屋さんは、ブルースリー狂のKくんにおいしいといって紹介され、二組の連中は行くようになったのですが、出もとは、なんしょんさんですかね。
>当時と比べると飲食店が増えたような気がします。今年の三月には商店街の居酒屋で中学時代のクラス会をやり、二次会は踏切近くのカラオケ屋に行きました。
踏切近くの二階だったかな、昭和の匂いがフンプンとする喫茶店があったのですが、腹ぺこだったので、ラーメン屋に足を運んでしまい、入りませんでした。
そうそう、なんかそそる飲食店ありました、また行きたいです。
>当時、あそこには横浜銀行がポツンとあったと思います。
そうか横浜銀行か、そう言われるとあったような。それとパチンコ屋さんがあり、お〜、これは当時もあったぞと記憶の一端が甦りました。らぴすたは完全に今風の建物ですね。あの頃からは想像もつきません。四十年近くも前だもんなぁ。
> 田舎おやぢさん、機会がありましたら次回は港南台にも足を延ばされてはいかがでしょう。
ええ、電車に乗ればすぐ近くだし、行こうかなとチラと思いましたが、猛烈な暑さに参ったのと、なんか覚悟が出来てないというか、下校時に港南台駅のアナウンスで電車が来ると知ってダッシュした線路際の道だとか、トンボやバッタを見ながら通った空き地やススキの穂のイメージが絶対崩れるので、ちょっと二の足どころか三の足、四の足踏んでいるのです。
以前、もっと後の代の後輩が港南台駅に降りたら浦島状態だったとどこかに書いていました。彼等でさえそうなのですから、二期の田舎のハゲ親爺がいったらどうなることかと、ちょっと怖かったりして。

港南台高校 同窓会