開校当時のお話 掲示板

Re: Re: Re: あの頃の横浜駅はどうなるのか?

2期 なんしょんです
(2010/07/14 22:07:20)

> そうです。改札を出るとすぐに駅ビルの出口で、その前に地下街への階段がありました。そこで必ず募金とか、なにかの勧誘に高校の制服がネクタイだったからなのか、よくつかまりました。

当時からあの場所はとにかくいろいろな勧誘とか、募金とかやっていましたよねぇ〜。

高校二年の時、三ツ沢競技場での試合の帰りに、あの場所でいかにものお姉さんにしつこく声をかけられたことがありました。その後、オジサンからも声をかけられたりもして・・・・・かなり複雑・・・・・

> >ダイヤモンド地下街って、今はザ・ダイヤモンドって言いましたっけ。
> そうか、名前も変わっていたのか。有隣堂と、カツレツ庵だったかな、この二つの店は高校の頃と変わらず残ってました。

そいつはよかった。あと何年そのままでいてくれるのでしょうか。

> カツレツ庵(全部漢字でした)は懐かしくて入ろうとしましたが、定食1500円前後と、田舎のハゲおやぢには破格の値段に退散してきました。(だってラーメンなら二杯喰えるじゃん)

カツレツ庵のカツレツってどんな字だったかなぁ〜。関内馬車道にもお店があったように思います。う〜ん、とても懐かしい。
しかし、定食1500円はちょっとねぇ〜。
金沢八景駅前のラーメン屋では、ラーメンと半チャーハンのセットで720円でやってます。ああ、ありがたやぁ〜。
私も、出張で表に出ていると駅の立ち食いそば屋をよく利用しています。どこの駅の店が美味いとか詳しくなっちゃったりして。

> 我々が高校の頃、元町なんて、一本入れば汚い路地で、どこがいいんだろうという感じでした。あの頃は中華街もそんなに特別視されていなくて、今とは大違いです。

当時のルートは、石川町→元町でしたね。何か石川町駅の周りが何となく暗い感じがしました。
高校時代は中華街なんて全く縁がなく、というか概念すらなかった感じです。

> >当時は、文庫といえば茶色の栞がついた新潮、あとは角川、講談社、文春くらいだったでしょうか。
> 新潮は匂いが良かった感じがします。文春を良く買ってました。当時の文庫本は安かったですね。今だと平気で千円近くするじゃないですか。だって文庫だろ?、みたいな感覚で思わず買うのをためらってしまいます。

確かに、当時から文庫本は本好きにとっては、本が安く手に入る貴重な手段でしたもんね。
今はというと、やはり文庫本もそれなりのステータスになってしまったんですかね。
私も基本的には昔からずっと文庫本が好きで、それしか買わないですね。

> 私は特別な乗車券が必要なのかと思った田舎者でした。昔は快速なんてなく、横須賀線と東海道線の二種類だけで、高校の頃は保土ヶ谷と横浜の間の混雑は日本一と言われ、確かに凄いものでした。私は大船方面で、保土ヶ谷、戸塚は横須賀線しか止まらず、東海道線が高級に見えていました。

現在は横須賀線とはいえ、千葉の先まで運行していますからねぇ〜。

> この頃の感覚からすると、横浜から新宿を経て東海道線が繋がっていく湘南新宿ラインなんていうのは、なんか腑に落ちないんですよね。

湘南新宿ラインは、JR東としてもドル箱路線なんじゃないですかねぇ〜。
確かに腑に落ちないように思えるんですが、中遠距離通勤者にとっては、ジャストアイデアだったんでしょうね。

> きっかけは二期生の総合同窓会ですね。あれ以前は、高校時代の思い出は無に等しかったです。あの企画、ノーベル賞もんですよ。しかも、先生も呼んでくるという行動力。なんかみんなエネルギーあるなあ。

田舎おやぢさんは出席されていたんですね。
私はこの二期生の同窓会は実は仕事がらみで出席できなかったんですよ。今さらながらにホントに残念でなりません。
私もみんなのエネルギーを感じたかったなぁ〜。

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