開校当時のお話 掲示板

Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: 当時の様子第60話
2期 田舎おやぢ
(2010/05/28 19:46:26)
>イチョウは神奈川県の木ですね。このホームページのタイトル部分にも描かれていますが、けっこうイケていると思います。
ええ、いいデザインです。バッジもありましたよね。我々のは金属の色そのままでしたが、次の年からは学年カラーが塗られていたような、いなかったような。ま、でも、素のままの色で十分良かったです。
そういえば、卒業記念に太いハンコを貰い、その頭にも校章が付いていました。あのような太いハンコはなかなかなかったので、私は社会人になってからハンコを使うときにはあれを使っていました。なにしろマンションを買う時のハンコとして印鑑登録したくらいです。さすがに今では別のものにしていますが、あのマネのできない太さは十分他と判別できましたので、重宝してました。今ではもう頭の部分に付いていた校章はどこかにいってしまいましたが、バッジの方はもっと早く消えてしまい、思い出だけになっています。(ブレザーの胸につけていたバッジ、ありましたよね)
>百貨店・・・デパートなんて子供の頃はホントに高嶺の花だったけれどなぁ〜。
ものの価値観と実体が合わなくなって久しいような気がします。ホントに豊かになったといえるのかなぁ〜。
おお、確かにそんな感じしますね。あの昭和の年代の頃が、上り坂だったからか、いまより考え方も狭い日々でしたが、高校の頃の方が豊かといえば、豊かだったのかもしれません。それは年代ということも当然あるでしょう、時間がたっぷりあるということは、それだけでもう豊かなんでしょうから。でも、それだけでは勿論なく、情報が少ない昔の方が、見えないのりしろ、みたいな期待というか、希望があったような気がします。上に開けている時代、という感じでした。
> 完校が決まった当初は、即取壊しだと聞いていましたので、とりあえずホッとしていますがね。やがてはXデーが来るのでしょうか。
横浜立野高校港南台校舎(旧 港南台高校)という名称になっているとはしりまへんでした。なんか複雑ですなぁ〜、建て替えの三年間使うということは、つまり、校舎としての機能が万全に保たれるということだし、お役立ちにもなるし、今も十分に保全されているということの証明にもなるのでしょうが、なんで他の高校になるんだよ、という、敗戦で占領軍が来たような感覚というか、なんか、複雑だなぁ〜
違いますよね、コレ、横浜立野高校港南台校舎。占領軍に東京を改名されたような気分、てのはオオゲサかなぁ〜

港南台高校 同窓会