開校当時のお話 掲示板

Re: Re: 当時の様子第60話

2期 なんしょんです。
(2010/05/19 22:04:23)

> 墓地なんてあったのですか、全然覚えていません。

今もあると思います。道路を挟んでサカタのタネとかもあったような気がします。

> >当時、私の出身中学(浜中です)からは港南台高校の受験者が多く、私のいたクラスだけで七名が合格しました。
> そういうことからもこのサイトは実に有益で、テレビなどマスコミが紹介したくなるのも頷けるし、過去を掘り出す意味からも感謝しています。

私の出身中学では当時、港南台高校は大人気だったようで
す。後輩もたくさん入ってきたし、一大勢力だったかもしれません。

> 我々の頃の、中学のクラスが十何組まであった昭和の時代が、なんか懐かしいなぁ〜。やっぱトシだ、こりゃ。

中学時代、私の学年は12クラスありましたし、ひとつ下の学年は14クラスあったように思います。ですから行政が神奈川県百校計画を予定する環境にはあったんでしょうね。

しかし、当時の将来予測はどうであったか、一般的な景気動向からして金を使うことが優先してしまったんですかね。
ちょっとマジになってすみません。

> アナログの、昔の雰囲気のテレビ画面があの頃の臨場感を増し、あ〜、そうだった、そうだった、と昭和五十年代初頭の雰囲気が肌に甦ってくるようでした。
> そうそう、ドリフの全員集合もちょっと前にやっていました。欽どん、ですか、あれも流行りました。これは我々世代ですか。

「ドリフ」って口ずさむだけで、何か笑っちゃいますよねぇ〜。私は、荒井注の頃もけっこう好きでしたよ。
今でも「ドリフ大爆笑」には思わずチャンネルを合わせてしまいます。家内には、「ホントに好きだよねぇ〜」と呆れられていますよぅ。

欽どんも一世を風靡しましたもんねぇ〜。最初はラジオでしたっけ? ハガキを読むところが視聴者参加という面もあってとても面白かったです。コント55号も好きでした。

> 当然といったら、当然なのですが、港南台高校に入っていなかったら今の自分はない筈ですし、特に私の出発点は高校で鬱屈していたことが全ての始まりです。

現役時代がどうであれ、こうして語り合えるってことは、やはり母校が好きだってことでしょう?
この歳になって、自分の原点についていろいろ考えることや語り合えることはいいと思いますよ。歳を重ねてきたからこそできる、あるいは許されることもあるんじゃないかな。


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