開校当時のお話 掲示板

Re: 当時の様子第60話

2期 田舎おやぢ
(2010/05/18 11:57:16)

>まずは道路を挟んで日野墓地があり、ぞっとしながら現地に運ぶと、グランドの隅っこのプレハブ校舎がありました。

墓地なんてあったのですか、全然覚えていません。私は「日野」というと「東京?」みたいな、そして「日野自動車」を想像してしまい、あまり親しみを感じていませんでした。ですから日野高校についてはあまり覚えていません。この稿で記憶を取り戻すことが助けになっています。

>当時、私の出身中学(浜中です)からは港南台高校の受験者が多く、私のいたクラスだけで七名が合格しました。

私の上永谷中学からは4名しか来高しませんでした。しかし、中学時代なんて有史以前ですね、もう。昨年このホームページをきっかけに中学のことを調べてみましたが、このようなネット媒体はなく、知るきっかけもありませんでした。そういうことからもこのサイトは実に有益で、テレビなどマスコミが紹介したくなるのも頷けるし、過去を掘り出す意味からも感謝しています。

>その後は学区の変更などもあり、違った状況になったのかもしれませんがそのあたりはよく判りませんです。

学区なんていうのも死後になりつつありますね、今や。小学校ですら統廃合が進むくらいですから。我々の頃の、中学のクラスが十何組まであった昭和の時代が、なんか懐かしいなぁ〜。やっぱトシだ、こりゃ。

以前、ベンジャミン伊東の「電線音戸」がテレビで取り上げられていました。それをきっかけにナンセンスクイズ「航海していたら、大量のイカが邪魔で船が進まなくなった、ここはどこ」「ジャマイカ」みたいな、高校生当時に流行ったことを思い出しましたが、ヒドク懐かしくなったことを覚えています。アナログの、昔の雰囲気のテレビ画面があの頃の臨場感を増し、あ〜、そうだった、そうだった、と昭和五十年代初頭の雰囲気が肌に甦ってくるようでした。

そうそう、ドリフの全員集合もちょっと前にやっていました。あれに郷愁を覚える年代は結構広いのではないでしょうか。高校の頃まで私は見ていました。あと、欽どん、ですか、あれも流行りました。これは我々世代ですか。

>やはり運命ってやつだったのかと思います。

ですね。いろいろ考えてしまいます。
当然といったら、当然なのですが、港南台高校に入っていなかったら今の自分はない筈ですし、特に私の出発点は高校で鬱屈していたことが全ての始まりです。ビッグバンのような華やかなものではなく、カビが侵食していくような、そういう始まりです。う〜ム、暗い。
確かにもっと素直だったら、俺の人生ももっと変わったものになったのになぁ〜(もう遅いや)!!

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