開校当時のお話 掲示板

Re: Re: Re: Re: Re: 当時の様子第59話

2期 なんしょんです。
(2010/05/12 21:16:18)

> 列を作って、カバン抱えて歩いていき、途中に通った団地のたたずまいなど覚えています。外装は殆ど出来上がっている校舎を外から見上げて、現地解散だったような気がします。中に入れなかったのが残念でした。

現地解散ということは、その後港南台駅から電車に乗って帰ったのかなぁ〜。絶対、記憶飛んでるなぁ〜、というか当日学校サボっていたのかもしれない。わからん。

> 学校の行き帰りにも近道みたいな感じで原っぱを突っ切って通ってた気もします。以前なんしょんさんが書かれていましたが、やっぱり原っぱのススキは象徴的な風景です。我々の期くらいまでですかね、この原っぱに郷愁を感じてしまうのは。

そうそう、わざわざ原っぱを突っ切って帰りましたねぇ〜。
ススキと赤トンボと夕焼けが私の中の原風景です。

> 現代国語なんてのも不出来な科目でした。主題とは何かとか、日本語で書いてあるにも関わらず雲をつかむよう問題ばかりで、なんでそうなるの、という答えは私の理解を越えていました。担当は平田先生と、もう一人、女の小柄な先生で、お名前は忘れてしまいましたが、お顔などよく覚えています(飛田先生だったかな)。

私は、現国は一年時と三年時で平田先生、二年時は鴻江先生という若手で背の高い先生に教わりました。
平田先生は、しばしば教科書の内容から脱線していろいろな話をして下さいました。ほとんどの同級生は退屈そうでしたが、私はけっこう楽しんでいましたよ。
当時、私は五木寛之の作品にのめり込みつつある時で、授業というより、平田先生から文学の雰囲気みたいなものを感じていたのかもしれません。

> 私の方の記憶は一期生と二期生しかいなかったから一年の二学期だったのかなあ。どうも定かではありません。但し、選挙演説は確かに屋内の一、二期生同時に入れる広い部屋で行い、それもたぶん最上階だったと思います。生徒役員に立候補した威勢のいい同期生が演説のために用意された机の前にいくや、その上に登って演説したことを覚えています。

そうか、この部分の記憶もぶっ飛んでるんだなぁ〜。
しかし、だからこそこの掲示板によって、いろいろな記憶を辿る意味も出てくるってわけですね。

> 我々が高校の頃のデジタルといへば、せいぜいが時計くらいでした。それもパタパタと札が降りてくる牧歌的なやつで、液晶なんてまだなかったような気がします。あ、計算機に使われ始めてきてたのかな。

電卓があったかどうかって感じですかね。


[返信]   [削除]   [一覧へ]
[トップページへ]

港南台高校 同窓会