開校当時のお話 掲示板

Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: 当時の様子第57話

2期 なんしょんです。
(2010/03/30 21:45:51)

>我々の高校の頃は新幹線は東海道だけ、それもなくなったこだまタイプのみでしたっけ。昭和の最盛期を迎えようとしている上り坂の時代で、そんな中の百校計画の一つとして港南台高校は生まれたわけですね。

個人的な話になってしまい大変恐縮ですが、私の勤務先には産業遺産制度というものがあり、もうしばらくするとすでに引退した東海道新幹線0系の先頭車両運転席部分が当社内に保存される予定となっています。

開業当時(1964年昭和39年東京オリンピックの年です)は、『夢の超特急』といわれ、戦後復興から高度成長に向けての象徴だったんですよね。

田舎おやぢさんが言われているとおり、私たちの母校が計画そして創立された時代というのは、まさに昭和の最盛期を迎えようとしていた時代でしたね。

私たちの世代は、小学校6年で『よど号』事件、そして中学2年で『浅間山荘』事件を経験し、相前後しオイルショックもあったり、そんな世代でしたよね。
大学1年の時には、成田空港開港反対運動があったりと、時代を経ながら生きてきたんですよね。

> それから約四十年、『奇跡の居酒屋ノート』で無くなった高校として紹介される栄誉といいますか、寂しさといいますか、いずれにしても、会長や井上さん、なんしょんさんなどのご活躍があって半世紀近くのちにこうやって感慨に浸れるのはいいものです。

やっばり気持ちです。

> 卒業してから高校時代のことは忘れようとしていましたが、先日の放送や本になった内容をみますと、誇り高い人々が続々育っていることに力強さを覚えます。

私も母校が無くなると聞いた時には、はっきり言ってガ〜ンと後頭部を殴られたような感じがしました。
大げさに言うと、自分が生まれ育った故郷が、ダムの底に沈んでしまうというようなことでしょうか。

本当に後輩の皆さんが母校を盛りあげてくれたんだなと思います。

> え、ダイエーに、しかも高島屋、デパートじゃないですか。空地の雰囲気しかもっていない私には違和感たっぷりです。薄だらけだった場所にスーパーやデパートが建ったのですから。

港南台駅の裏(洋光台側)もなんもなかったもんねぇ〜。
でもやはり当時の都市開発バワーは、あんなに短期間のうちに街の様相を変えたんですねぇ〜。これはすごいことだと思います。

> ええ、なくならないうちに駅から降りて歩いてみようと思っています。

ぜひ、レポートお願いしたいっす。

> 渥美会長の行動力には感心致します。こういう中核があってしかも皆さんのような熱心なグループがいて、無くなった高校としての活動力としては、確かにテレビや書籍で紹介したくなるエネルギーですね。私もその活力を見習って頑張ります。

まさに同感ですよぅ。

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港南台高校 同窓会