開校当時のお話 掲示板

Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: 当時の様子第56話

2期 なんしょんです。
(2010/03/01 22:33:18)

> お〜、そいつは凄い、登山やってましたから、靴ズレの痛さは身に沁みています。

靴ズレ、ホントにきつかったっす。当時、サッカー部に入り、革靴以外に履きなれないサッカーのスバイクでも靴ズレができてしまい、もう登下校の道のりは果てしなく遠く、自宅に近付くにつれてその歩みは牛歩となってしまいました。自分はけっこう我慢強いと気づいたりもしました。トホホ

> え、パンも売っていましたっけ。それは業者が売りにきていたのでしょうか。

業者が売りにきていましたよ。昼休みはメッチャ混んでいました。

> 二年の後半からでしたっけ、高校の側に「港南飯店」というラーメン屋ができましたが、確か先生から行ってはいけない、みたいな注意があったような、なかったような。

おーっ、「港南飯店」懐かしいぃ。確かにありましたね。ヒラヒラ暖簾が掛けてありましたね。今はどうなってしまったんでしょうか? 

> あ〜、なんか記憶が蘇ってきました。ありました、ありました。でも休講になった覚えがありませんから、青空教室みたいな感じで授業やったのかなぁ。

誰だったか先生が、「これがホントの青空学級だ。ワハハ」とヤケクソに言っていたのを思い出します。

> 風で屋根がめくれてしまうほどヤワな造りでは、冬は隙間風なんかも酷く、苦労したでしょう。

そうだと思いますよ。当時は気候も今より寒かったと思うし、暖房器具もどんなものだったかと思うと一期生の先輩たちの御苦労を思います。

> あれ、でも、二期生って一学期しか間借りしてなかったのでしたっけ。そうか、一年の二学期にはもう原っぱの中の鉄塔の麓にある新校舎に入っていたのか。

一年の夏休み前に移転したんですよ。
移転の日は小雨混じりの日でした。廊下や階段に並んで、手渡しでいろいろな物品を搬入した記憶があります。

> う〜む、そう言われると自信なくなります。ただ書いたことは事実で、それは我々のクラスだけではなかったような気がするのです。

そうですか。記憶が欠落しているというか、おそらく自分にとってはまったく価値観を感じられないイベントだったのだと思います。いずれにしても15歳で「自叙伝」っていうのは・・・・

> 春休み、解放感ありましたね。毎日夜遅くまで起きて今とは違って、曲は必ず最後までかけるFM放送で、音質がいいといわれるクロームテープや、クリーナーがリーダーテープに付いた白いリーダーテープが売りの新型カセット(この部分、若い方達には理解不能でしょう)でエアチェック(これも死語)しながら録音していました。

私もギターをコピーするために中学時代からカセットに録音していました。やはり今でも取ってあります。今聴くとヒドイ音質ですが、好きでギターを片手に毎晩固唾をのむように聴いていたあの頃を懐かしく思います。胸キュン(これも死語かのぅ)ものです。

> はっきりいっていきなり変わった科目内容とその高度さに負けていました。

私は入学直後、井上隆道先生の英語オンリーの授業に震えあがり、それは同時に意味もなく反発に変わっていったりしました。ただ自分がトホホだっただけなんですけどね。

> その通り。レコードを持っていると、『すみや』でしたっけ、あの独特のレコードを入れる紙袋さえもカッコよく、あの頃は日本のは歌謡曲めいた感じで程度が低い、みたいな意識があって、長く難しい曲をインプロビゼーションも交えながら奏で思想性まで感じさせたプログレ、圧倒的な迫力と美しいハーモニーが魅力のハードロック(これも死語なのか)など、洋楽にかぶれていました。

私は中学時代から日本のフォークソングが大好きでしたが、好きなミュージシャンの語るルーツというのが、洋楽のブルースだったり、ロックだったりということもあり、自然と洋楽も聴くようになりました。
大学生時代は自分の部屋に、ジミヘン、クラプトン、ジェフ・ベックなどのポスターをペタペタと張りまくり悦に入っていましたっけ。

> そうです、ご指摘のように洋モノのデザインは芸術といった高尚さまで漂わせ、違う世界を感じていました。これをインテリアに飾っておくと、かなりイインですよ。

でしょう。やっとの思いで手に入れたLPのジャケットを眺めながら、最初の針をおとす時の緊張感と悦楽、神経は緊張と弛緩を繰り返すような感覚でした。純粋に聴きたい、体験したいという思いが強かった。若かった。


[返信]   [削除]   [一覧へ]
[トップページへ]

港南台高校 同窓会