開校当時のお話 掲示板

Re: Re: Re: Re: Re: 当時の様子第55話
2期 田舎おやぢ
(2010/02/15 11:51:29)
> 女子ばかりで(当たり前か?)、創作ダンスのようなものをやっていたと思いますよ。もちろん私も詳しくは判りませんが、一見何をやっているのか不思議な感じでした。
へぇ〜、としか感想が出ない、芸術オンチですが、創作っていうことはそれだけ発信するものがあったということなのだから、なんか羨ましい感じもします。
> そうでしたか・・・私の中からはその催しの記憶はストンと抜け落ちていますねぇ〜。
そんなこともあったのか。みんなでどこかに行ったのかなぁ〜。
この催しがあった記憶は確かだと思います。時期と学年は忘れてしまいましたが、三年の春だったような、秋だったような気がします。二期生は全てクラス毎に自分たちで決めて、そこに行った筈で、檻の中で空から切り離された鷲が、物凄い勢いで羽ばたきを繰り返していたのを覚えています。
> 下り方面に帰る友人にくっ付いていったり、カップルで遠回りして帰ったり・・・あぁ、これも青春!! だった。
私も大船方面の友人にくっついて行きました。当時はモノレールが動いていて、今はないのかもしれませんが、それに乗り換える友人と別れて戸塚、保土谷、または横浜まで足を延ばして帰ってきました。当時の保土ヶ谷駅は近距離専用の30円の自動販売機があるだけで、あとは昔ながらの駅員がいる窓口で、今は見ることのできない固い紙の切符を買いました。確か港南台駅まで80円だったか、と思います。高校の友人によれば、田舎の駅としてロケにも利用されていたということです。
若い方々には想像の範囲外でしょうが、そういう時代に詰襟服でないネクタイ姿の新設高校生として、我々は登場したのです。公立高校としては珍しいらしく、住宅街を歩いていると「どこの高校」と、尋ねられることもありました。そのときはなにか咎められているようであまりいい感じがしませんでしたが(ここがネクラの悪いところですね)、今思えば、斬新な制服にうちの子供もこういう学校に行かせたい、などと思ってくれていたのかもしれません。
それにしても「カップルで遠回りして〜」、こういうセリフを私も吐いてみたいものです。
時節柄、きのう娘に「本気のチョコもらったことあるの」と訊かれ、「バァーロー、昔はな、女と喋っちゃいけなかったんだ!!」と返すしかない俺でした。
>おぉ、ジョイナス栄松堂は大学時代に、時々寄り道していましたよ。
高校の帰りにダイヤモンド地下街の有隣堂と一緒に良く利用していました。栄松堂はそのブックカバーとともに最も印象に残っている高校時代の思い出となっています。星新一とか同級生と貸し借りして読んでいました。なんとなく帰りに寄りたくなる本屋さんでした。
栄松堂は上大岡にもあり、それが高校の二年の終わりか、三年の終わりくらいかに撤退してしまい、独特のブックカバーの付け方をしてくれる店員が西口のジョイナスと繋がっている、あれは駅ビルというのですかね、そちらの小さな栄松堂に移って、やっぱり外れにくいブックカバーの付け方をしてくれていました。こちらのお店もそのうちになくなってしまい、今このことを知っているのはごく少数になっているでしょう。
二年くらい前にジョイナス栄松堂を訪れたら、同じ規模、同じ混雑で営業していて嬉しかったです。高校のときに読めなかった英文対訳テキストみたいなやつを見ていたら、昔の情景が溢れるように膨れ上がってきて思わず買ってしまいました。
当時の港南台生は、この栄松堂、有隣堂で参考書を揃えることが多かったと思います。
> そんなことありましたねぇ〜。休みになったんでしたっけ? 学校が始業時間を遅らせたりして、自宅から同級生とふたりで1時間以上かけてトボトボ歩いて通った記憶があります。当時の国鉄のストは徹底していましたよねぇ。
一週間くらいは休みになったと思います。よお〜し、わからないベクトルや英語を勉強するぞぉ〜と決断してはみたものの、自堕落に寝っ転がって日を送っていたことが思い出されます。

港南台高校 同窓会