開校当時のお話 掲示板

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校舎が新設されたばかりの頃は、杉田駅から新杉田まで歩いて通っていました。このルートを通う港南台生は多く、あの朝の時間、アーケードを新杉田に向かって歩く高校生の大半は我が校の生徒ではなかったでしょうか。
74年ですから、今から四十年近くも前、毎朝薄暗いアーケードをくぐって向かっていた頃を懐かしんで、猛暑の中、杉田駅に降りてみました。京急の急行が井土ヶ谷や弘明寺等昔と比較して沢山停まるのに驚きながら降りた駅の構造はあまり変わってないようで、スイカで下車したことだけが往年との違いでした。
改札を出ると左側に当時は無かった駅ビルへの通路が繋がっていて、私は迷わず昔使っていたと思われる階段を降りて踏切りそばの懐かしい道に入りました。しかしアーケードはなく、すぐに入らなかった駅ビルの前に出てしまい、昼を食べていなかったので、駅ビルにあるという餃子ラーメンを食べるべく階段を上がって行きました。
二階にあったその店は、名前も昔の「赤ひげ」から変更されており、張り出されているメニューを見ても餃子ラーメンはありませんでした。ビルの中をくまなく回りましたが、ラーメン店はそこだけで、よく見ると昔は赤ひげだったと壁に貼ってある宣伝に書いてあります。
餃子ラーメンがないので、なんとかいうラーメンの大盛りを頼みましたが、質より量の私には、え、これで大盛りなの、という少量で、スタッフもバイトかパートのようで、昔話を聞くこともできず、物足りなさをもって出てきました。
昔はここに本屋さんがあって、その向かいに赤ひげがあったのにと思いながら、汗が倍増した炎天下を歩いていくと、商店街はシャッター通りになることもなく人通りも多い中、きっと昔もあったに違いない古い佇まいのままの店が幾つか小さな店舗を構えて顕在でした。
もう少し涼しかったらもっとゆっくり見て回ったのですが、あまりにも暑すぎて、歩いただけの通りは大通りに出て終わってしまい、横断歩道を渡った先に大きなビルがあって、新杉田駅には、新交通システムも通っているみたいで、懐かしいものは何一つ見つかりません。
暑さを凌ぐため、駅前のビルにあったオートバックスじゃない、スターバックスに入ろうとしましたが満員で、駅への渡り廊下から見える道路際にあるドトールまで歩いていきましたが、やっぱり満席で、仕方なく帰るかと駅ビルの中を歩いていたら、ドトールは此処にもあり、覗いていたら空いてますよと店員に言われてやっと暑さと疲労から解放されました。
今風に変容した新杉田駅は昔の面影はありませんでしたが、京急杉田駅と商店街は昔の匂いが残っていて、おいしそうなラーメン屋さんも新しく出来ていたり、うまく新旧が溶け込んでいるように思いました。あの頃から37年、経営状態は順調ではなかったのかもしれませんが、未だに顕在な商店街のお店にはパワーを感じました。
だけど、暑さには参りました。昔はこんなに暑い夏はなかったように思います。
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港南台高校 同窓会