開校当時のお話 掲示板

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>高校の頃は女性の車掌・運転手なんて考えられなかったですが、最近の湘南ラインは女性の運転手・車掌が多いですよね。
お、そうですか。埼玉県田舎地方ですらも同じような状態です。確かに昔では考えられないことです。高校の頃はまだ男女の棲み分けがはっきりしていて、看護婦が看護師と呼ばれるようになるとは誰も考えていませんでした。
だからこそ男子タルモノ、という一時代前の考え方が生きていて、私なぞはそれに影響され、女とは喋らない、同席しない、てな感じで勉学一方に励み・・・な、訳ねぇだろ、暗い高校生活だったぜ。
>大学時代の朝の横浜駅ホームでのアナウンスは必ず女性で、通勤・通学ラッシュもなんとなく癒されました。
東横線の横浜駅も女性で、決まって「毎日の御勤め御苦労さまです」という言葉で締め括られていました。やっぱり混んでいて、しかも渋谷までに一冊本が読めるくらい遅くて、京急の快速や横須賀線に慣れていた私には、東横線の急行の遅さはタマリませんでした。
>あの頃は朝の東海道線は川崎を通過(横須賀線が停車)し、横浜出たらいきなり品川までノンストップで一度手を上げたらそのままの姿勢で約20分ガマンガマンなんてこともありました。
お〜、そうでした。京急の快速に対抗したんですかね。高校のあの頃はまだスピードに対するマイナスイメージはありませんでした。「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」みたいな標語はありましたが、スピード自体には憧れが伴い、交通機関はより早く、より遠くへという感じで、今みたいなスローな生活に価値観を見出すようなユルさはありませんでした。
高校の勉強もその流れの中で流されるようにしていただけで、大学に行ってなにやるの、といわれても漠然としか答えられず、ただ夏休みには山に行く、ぐらいが決まっていただけで、周囲のスピードに乗った流れに任されていただけのような気がしています。ただ、その流れがあったことが、今と比較するとだいぶ恵まれていたのだと思います。
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港南台高校 同窓会