開校当時のお話 掲示板

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>当時は、西口改札はダイヤモンド地下街のすぐ手前にあったように記憶しています。
そうです。改札を出るとすぐに駅ビルの出口で、その前に地下街への階段がありました。そこで必ず募金とか、なにかの勧誘に高校の制服がネクタイだったからなのか、よくつかまりました。もしかしたら社会人と間違えられたのかなぁ。
>ダイヤモンド地下街って、今はザ・ダイヤモンドって言いましたっけ。
そうか、名前も変わっていたのか。有隣堂と、カツレツ庵だったかな、この二つの店は高校の頃と変わらず残ってました。カツレツ庵(全部漢字でした)は懐かしくて入ろうとしましたが、定食1500円前後と、田舎のハゲおやぢには破格の値段に退散してきました。(だってラーメンなら二杯喰えるじゃん)
>みなとみらい地区や元々人気のあった元町中華街に人が流れているんですよね。
我々が高校の頃、元町なんて、一本入れば汚い路地で、どこがいいんだろうという感じでした。あの頃は中華街もそんなに特別視されていなくて、今とは大違いです。
>私もヘルマン・ヘッセとか買って読みましたが、何か気取っているみたいで書くのを控えていました。リルケが登場したので何か安心しました。
詩ってなんか高級感があって、まったくの衝動買いです。何が何やらさっぱりわかりませんでした。その後遺症か毛嫌いするようになり、男のクセに詩なんか書くのか、とか、詩なんてよみやがって、てな感じで大学では文学部なのに友人をイジメていました。(私は大学に入ってグレました)
>当時は、文庫といえば茶色の栞がついた新潮、あとは角川、講談社、文春くらいだったでしょうか。
新潮は匂いが良かった感じがします。文春を良く買ってました。当時の文庫本は安かったですね。今だと平気で千円近くするじゃないですか。だって文庫だろ?、みたいな感覚で思わず買うのをためらってしまいます。
> アクティーは、確か1時間に一本の割合で運行している東海道線の電車ですね。
私は特別な乗車券が必要なのかと思った田舎者でした。昔は快速なんてなく、横須賀線と東海道線の二種類だけで、高校の頃は保土ヶ谷と横浜の間の混雑は日本一と言われ、確かに凄いものでした。私は大船方面で、保土ヶ谷、戸塚は横須賀線しか止まらず、東海道線が高級に見えていました。
この頃の感覚からすると、横浜から新宿を経て東海道線が繋がっていく湘南新宿ラインなんていうのは、なんか腑に落ちないんですよね。
>田舎おやぢさんの高校時代のことは、同期にもかかわらず残念ながら私も全く知りませんでした。
たぶん二人とも顔は覚えているでしょう。前にも書いたようにクラスが少なかったので、お互いの存在は見知っているのだと思います。なんだ、あのネクラのやつか、なんてね。あ、でも、このハゲじゃ、ちょっと無理か。時間というのは、ある意味過酷ですなぁ〜
>何だかんだ言って母校をすごく愛してくれている。
きっかけは二期生の総合同窓会ですね。あれ以前は、高校時代の思い出は無に等しかったです。あの企画、ノーベル賞もんですよ。しかも、先生も呼んでくるという行動力。なんかみんなエネルギーあるなあ。
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港南台高校 同窓会