開校当時のお話 掲示板

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> そうでした、そうでした、団地の区画だけ造られたような空き地を語り合いながら下校してましたです。広い感じで良かったですよね。当時は原っぱのトンボやバッタ、薄の群れの中を通っていた自由な雰囲気でした。
私たちの年代は、きっとみんな同じような思い出を抱いているのではないかなぁ〜。何しろ今ではなかなか見られない印象的な風景でしたもんねぇ〜。
> 横浜駅は変わっていました。ダイヤモンド地下街は変わらずあったものの、知っている店は有隣堂くらいなものでした。町の風景や駅の中の雰囲気など、今の私に大きく影響していますが、横浜駅は駅の構造自体が変容し、昔の面影は無い、といってもいいような感じを受けました。東横線が無いんですよ。
横浜駅は数年前に大きくレイアウトが変わりました。東急東横線は終点が横浜で、横浜から先はみなとみらい線となり、その終点は元町・中華街となっています。
懐かしい東横線の高島町、桜木町の駅はなくなってしまいました。
三越は家電量販店にとってかわられ、あと数年の間に西口のシャルとエクセル東急ホテルは大がかりな駅ビルに変わる予定だそうです。
> それと、高校を下校して横浜に寄ってから保土ヶ谷に向けて帰る夕方に、必ず駅のホームで聞くことのできた、『九州特急、○○号、柱番号何番に何号車停車〜』という、旅情を誘う案内放送も聞くことができなくなっていました。
そういった特急電車自体が軒並み引退してしまったんですよね。確かに、言われるような旅情溢れるアナウンスは少なくなりました。
鉄道の駅というのは、いろいろ思い出の多い場所のひとつだと思うのですが・・・・
> 老人のタワ言かもしれませんが、我々は現代になって得たものも勿論ありますが、失ったものも大きいのでは、と当時切望されていたものの、必ず国鉄の停滞主義で反対され、実現されることのなかった京浜東北線の快速電車に揺られながら、なんか釈然としないものを感じてしまいました。
ハード・ソフト両面でどんどん新しいものに入れ替わり、利便性は見違えるようになってきたけれども、それと引き換えに、精神的な面で何か大切なものを失ない続けてきたような気がしてなりません。
> 当時は昭和の四十年代から五十年代という変わり目で、高校に入学した四十九年というのは忘れられないですね、すぐに1974年という西暦も出てきます。心情的には親しく感じているのですが、36年といふ歳月が過ぎ去っているのと思うと、昔、むかしのお話になってしまいます。
昔、むかしのお話ですが、私たちの原点でもあります。
この歳になって改めて振り返ってみると、また何か新しい発見があるかも知れませんよ。
> あとは京急杉田駅前の古い商店街、今では昭和レトロと表現されるようなアーケードの雰囲気しか覚えていません。
昭和レトロの趣のあったアーケード街は、すでに東急ストアとして駅ビルに変わってしまいましたが、その中には当時商店街にあったお店がテナントとして入っていますよ。
> そういえば、久しぶりに京急に乗ったのですが、当時とは駅の名前まで変わっていますね。あと、急行がなくなっていたような。上大岡は降りてはいませんが、町の様子もだいぶ変貌してしまったでしょう。
京急も先月ダイヤ改正があり、快特が金沢八景に停まるようになりました。
急行というのはもう何年も前になくなっています。
駅名でいうと、野比海岸がYRP野比に、谷津坂が能見台に替わりましたかね。
そして上大岡は・・・
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