開校当時のお話 掲示板

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>今もあると思います。道路を挟んでサカタのタネとかもあったような気がします。
日野高校の周りって住宅地ばかりと思っていましたが、墓地やお店とかもあったのですか。
港南台に新校舎が出来てからは、あまり思い出すこともなく、というか、間借りしていたので積極的に思い出したいこともなく、徐々に忘れて行ったのでしょう。
> 中学時代、私の学年は12クラスありましたし、ひとつ下の学年は14クラスあったように思います。ですから行政が神奈川県百校計画を予定する環境にはあったんでしょうね。
そういうことでしょう。うちの中学も13クラスくらいあったように記憶しています。統廃合という響きより、百校計画という方が未来に期待を感じます。しかし、その頃できた高校がなくなるっていうのは、寂しいのは勿論、景気も下降線なのが日本の衰退を物語っているようで、嬉しくはありません。
> 「ドリフ」って口ずさむだけで、何か笑っちゃいますよねぇ〜。私は、荒井注の頃もけっこう好きでしたよ。
高校の頃までは、まだ荒井注の時代でしたっけ。なんかあの頃の方がみんな幸せだったような気がするのは、時間の流れに流された老中年の感傷でしょうか。勉強はできなくても、なにモノにかはなるんだ、という、そういうエナジーをみんな持っていたように思います。私も鬱屈してはいましたが、閉塞感は感じてはいませんでした。ブレイクスル―というか、突破しようという気分は、あの頃の誰もが持っていたように思います。
>今でも「ドリフ大爆笑」には思わずチャンネルを合わせてしまいます。家内には、「ホントに好きだよねぇ〜」と呆れられていますよぅ。
あれは世代と時代に関係なく、うちの子供にも受けてます。ああいう国民的お笑い番組はなかなかないですよね。
>欽どんも一世を風靡しましたもんねぇ〜。最初はラジオでしたっけ? ハガキを読むところが視聴者参加という面もあってとても面白かったです。コント55号も好きでした。
ハガキでお笑いの作り手になれるんですから、誰もが参加したくなりました。あ〜、なんか懐かしいなぁ〜、欽どん=高校時代ですね、私の中のひとつのイメージは。と感慨に浸るのは、やっぱり老いた証拠でしょうか。「だいぶん前から飲む時は、肉よりも魚が好きになりました。日本酒にはやはり魚が合うんです」この意見、賛成です。通ですなぁ〜、昔話には酒と旨い肴ですね。それと古い友人ですか。
>この歳になって、自分の原点についていろいろ考えることや語り合えることはいいと思いますよ。歳を重ねてきたからこそできる、あるいは許されることもあるんじゃないかな。
全くですね。しかし、時間的には三十年以上前なのに、思い出は新鮮で、ちょっと不思議です。
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港南台高校 同窓会