開校当時のお話 掲示板

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Re: Re: Re: Re: 当時の様子第59話

2期 田舎おやぢ
(2010/05/10 13:52:45)

>はっきり覚えていませんが、かなり時間がかかったと思います。おまけにポールを抱えていましたし・・・特に帰り道が大変でした。

そうか、行ったら戻ってこなくちゃならないんだ。往復、かなりの距離だった筈です。若いっていうのはパワーありますね。新校舎まで走ろうという気分もわかる気がしますが、もう今の年代ならまずタクシーですね、相乗りで。

>私は学年揃って新校舎を見に行った時の記憶が飛んでいるんですよねぇ〜。ただ言われてみるとそんなことがあったように思います。

列を作って、カバン抱えて歩いていき、途中に通った団地のたたずまいなど覚えています。外装は殆ど出来上がっている校舎を外から見上げて、現地解散だったような気がします。中に入れなかったのが残念でした。

>サッカー部の顧問は谷亀先生でした。私の一年時と三年時の担任です。先生は球技大会でも黒い上下を着て、サッカーの審判を務めて下さいましたっけ。

そうだ、その先生です。体育の教科書から出てきたような姿でした。

>いずれにしても当時は、体育の授業や部活などがあったので、原っぱのグランドに足を運ばない日はほとんどなかったように思います。

学校の行き帰りにも近道みたいな感じで原っぱを突っ切って通ってた気もします。以前なんしょんさんが書かれていましたが、やっぱり原っぱのススキは象徴的な風景です。我々の期くらいまでですかね、この原っぱに郷愁を感じてしまうのは。あとは住宅地の中の高校という感じになってしまうのかな。今住んでいる方々には勝手な言い分ですが、寂しいという気持ちは隠せません。

> 校門前の交差点には、高校が完校した今でも「港南台高校前」という標識がかかっています。これからもずっと残していってもらいたいものです。

ネットで今、こっそり地図を見てみました。高校の区画は残っていますが、名称は消えています。しかし、信号の名称は確かに「港南台高校前」と記載され、衛星写真で見ると、港南台の校舎がバッチリ写っています。校内には車なんかも何台が駐車していて、いつの写真なんだろうと思いました。近くに公園なんかも出来ていて、緑は残っているのですね。しかし、病院や学校、団地などがたくさんできていて、だいぶ開けているようで当時の面影はないみたいでした。

> 私も二年時に美術を選択していたので、美術室で白い石膏像をデッサンした記憶があります。木炭か何かで描いて、消す時は食パンを使ったっけかな? そのためのパンだったのに腹が減って食べちゃったりして。

そうか、やっぱりあのわけのわからない石膏像をデッサンしたのか。私が当時驚いたのは、石膏像に名前が付いていることでした。アグリッパだかなんだったか、サッパリ思い出せませんが、え、これに名前あんの、てな感じで、なんで外人のデッサンなんだ、日本古来の仏像でもデッサンした方がいいんじゃねえのか、と捻くれてました。
パンで消したことは全く覚えていません。なんでパンなんだろ。しかし、自分に興味のない科目てのは、なんにも身についてないし、いやなことしか覚えていないものなんですね。
現代国語なんてのも不出来な科目でした。主題とは何かとか、日本語で書いてあるにも関わらず雲をつかむよう問題ばかりで、なんでそうなるの、という答えは私の理解を越えていました。担当は平田先生と、もう一人、女の小柄な先生で、お名前は忘れてしまいましたが、お顔などよく覚えています(飛田先生だったかな)。化学の加瀬先生といい、苦しんだ科目の先生のお顔は良く覚えているものです(恨んでいるからではありません、念のため)。
まあ、全体が不出来な科目だったのですが、この芸術関連の音楽、美術と、現代国語は、勉強するとできるようになる、というより独特の感性が必要な科目なのかもしれません。先生の方でも教えるのに困ったでしょう。今となればやっぱり懐かしいというのは、おかしなものです。

> 視聴覚室はふだんは足を運んだ記憶がありませんねぇ。三年の時に文化祭でフォークコンサートをやらせてもらった位だったでしょうか。それもそこが視聴覚室とは知らずに使っていたのかもしれません。

きっと新設の高校の新しい設備だったのでしょう。設備的には充実していたことの証しなのかもしれません。音楽のときにでも使っていたりして。

> そんなことがありましたか? 田舎おやぢさんもいろいろとよく記憶されていますねぇ。
選挙演説というか選挙応援というか、グランドでやった時のことは記憶しています。たまたま立候補者の誰かに頼まれて応援演説をした記憶があります。あれは二年の二学期だったかなぁ〜。

へぇ〜、校庭でもやったのか、そちらは全く覚えていません。私の方の記憶は一期生と二期生しかいなかったから一年の二学期だったのかなあ。どうも定かではありません。但し、選挙演説は確かに屋内の一、二期生同時に入れる広い部屋で行い、それもたぶん最上階だったと思います。生徒役員に立候補した威勢のいい同期生が演説のために用意された机の前にいくや、その上に登って演説したことを覚えています。会場は沸きました。図書室かなにかだったのだろうと思います。そういえば、図書室で本を読んでいると山鳩の鳴き声が聞こえてきて、山間の学校というような錯覚にもはまりました。好きな雰囲気でした。

>私たちの世代はアナログ育ちっていうんですかねぇ。私が会社に入社した当時はまだ職場にパソコンもありませんでしたし、カラオケは音楽だけ流れて歌詞は本をみながら歌うようなヤツでした。

そう、アナログですねぇ〜。本来自然は連続的なもので、それを細かく切って表現しようとするデジタルは、アナログを表現するための一手法でしかない、などと言うのは負け惜しみですかね。
我々が高校の頃のデジタルといへば、せいぜいが時計くらいでした。それもパタパタと札が降りてくる牧歌的なやつで、液晶なんてまだなかったような気がします。あ、計算機に使われ始めてきてたのかな。でも、やっぱりアナログ全盛というか、デジタルに対するアナログなんていう言葉すら聞かれなかったですよね。

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