開校当時のお話 掲示板

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Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: 当時の様子第56話

2期 田舎おやぢ
(2010/03/01 12:08:24)

>私は、入学直後に慣れない革靴で何度か酷い靴ズレになってしまい、片道30分以上かけて徒歩で通学していた身には辛かったことを覚えています。

お〜、そいつは凄い、登山やってましたから、靴ズレの痛さは身に沁みています。一度なるとなかなか治り難いんですよね。30分以上とは、しかも毎日ですから、よく我慢しました。

> パンも出遅れるとすぐに売り切れになってしまい、何度かどツボにはまったことがありました。何しろ当時、学校の周りは原っぱばかりでお店がなかったため、他に調達手段がなかったわけで・・・

え、パンも売っていましたっけ。それは業者が売りにきていたのでしょうか。それとも今ある、ときどきビニールがひっかかって出てこない(あれ、頭にくるんだよなぁ〜)パンの自動販売機みたいなのがあったのでしょうか。パンは記憶にありません、う〜む、またまた老化現象だ。
二年の後半からでしたっけ、高校の側に「港南飯店」というラーメン屋ができましたが、確か先生から行ってはいけない、みたいな注意があったような、なかったような。でも入った記憶がありますから、そんなことはなかったのか。

> へっ、そうだったんですか? 私は当たり前のように通っていました。いけなかったのか。あれすごい近道だったんですよね。

これは良く覚えています。土手の道を我が校の二三人の女子生徒が登って行くのをみて、たまたまプレハブ近辺にいた日野高校の男の先生が、そこは通るな〜、と大声で怒鳴り出しましたが、結構広いグラウンドでは声が届かなかったようで、悠然と女子生徒が登り終わるのを見るしかなかった先生を見ていた我々もなんか気まずくなりました。洋光台方面への近道だったのですよね、きっと。

> 悪天候の後、登校するとプレハブの屋根が剥がれてぶっ飛んでいたこともありましたっけね。

あ〜、なんか記憶が蘇ってきました。ありました、ありました。でも休講になった覚えがありませんから、青空教室みたいな感じで授業やったのかなぁ。

>私たちは入学後の一学期だけの間借り生活でしたが、一期生の先輩は一年と一学期もの間、間借り生活をされていたんですもんね。特にあのプレハブ校舎でひと冬越されたってことは、さぞかし寒い思いをされたと思いますよ。

風で屋根がめくれてしまうほどヤワな造りでは、冬は隙間風なんかも酷く、苦労したでしょう。でも、あの頃、電車は当たり前に隙間風があったし、今ほど家屋も密閉されていなかったから、寒さに我々も強かったのかもしれません。
あれ、でも、二期生って一学期しか間借りしてなかったのでしたっけ。そうか、一年の二学期にはもう原っぱの中の鉄塔の麓にある新校舎に入っていたのか。今考えると山の中の分教場みたいな感じですね、学年も一年と二年しかいなかったから。プールも体育館もなく施設的には恵まれていませんでしたが、環境的には面白いところだったと思います。

>いや〜、私は『自叙伝』の件はまったく記憶にありませんですねぇ。書いたのかなぁ?

う〜む、そう言われると自信なくなります。ただ書いたことは事実で、それは我々のクラスだけではなかったような気がするのです。いずれにしてもまだ15、6歳の者に自叙伝を書かせるというのは、なにか深い意図があったのだと推察しますが、それには全く応えられませんでした。やっぱり新設高校ということで、先生方も進取の気質みたいなものをお持ちだったのでしょう。

>私は、高校入試が終わった後の春休みに徹底的に遊び呆けてしまい、そのノリで高校入学後は全然勉強に身が入らず、一年の一学期は三年間で抜きんでて最低の成績となってしまいました。

春休み、解放感ありましたね。毎日夜遅くまで起きて今とは違って、曲は必ず最後までかけるFM放送で、音質がいいといわれるクロームテープや、クリーナーがリーダーテープに付いた白いリーダーテープが売りの新型カセット(この部分、若い方達には理解不能でしょう)でエアチェック(これも死語)しながら録音していました。あの頃のカセットは捨てられることなく今でも存在しており、渋谷陽一やケン田嶋のDJとともにときたま聴いて楽しんでます。(老人になっていくのだなぁ、こうやって)

その春休みが終わって、出て行った校舎がプレハブ、一気にトーンダウンして、確かに勉学気分はなくなり、あまり通いたくない高校生活が始まりました。古文の教科書を忘れたことや、四つの机を重ねて班のようなものをつくり、あれはなんの授業だったのだろう、国語かなぁ、いろいろ四人のモノが置いてあるのをいいことに、関係のない本を隠して読んでいたことが思い出されます。はっきりいっていきなり変わった科目内容とその高度さに負けていました。ここから、英語は全く読めない、数学、物理など理数科は苦手、国語は何言っているのかわからない、という勉強環境が始まり、それは卒業まで改善されることなく維持されました。

> LPのジャケット、特に洋モノには卓越したデザインのものも多く、小脇に抱えているとちょっとイケてる感じがしましたもんねぇ。

その通り。レコードを持っていると、『すみや』でしたっけ、あの独特のレコードを入れる紙袋さえもカッコよく、あの頃は日本のは歌謡曲めいた感じで程度が低い、みたいな意識があって、長く難しい曲をインプロビゼーションも交えながら奏で思想性まで感じさせたプログレ、圧倒的な迫力と美しいハーモニーが魅力のハードロック(これも死語なのか)など、洋楽にかぶれていました。

>そのままCDのジャケットになっても、小さいせいもあるんでしょうが、なんか存在感が感じられずパッとしませんね。やっぱり、LPは手放せないなぁ〜。

そうです、ご指摘のように洋モノのデザインは芸術といった高尚さまで漂わせ、違う世界を感じていました。これをインテリアに飾っておくと、かなりイインですよ。
同感です。CDはダメです。あんな小さなものに閉じ込めちゃうと、お菓子のパッケージみたいで、折角の卓越さがダイナシです。真空管がいいとか、レコードの曲が始まるまでの溝の音がいいとか、とまでは言いませんが、CDには音質だけではなく、芸術性や思想性も引き継いで欲しいですよね。


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