開校当時のお話 掲示板

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>何しろいきなりアメフト部ができちゃうくらいだもんな。
そうそう、あのヨロイみたいなやつを付けて活発にやってました。アメフトは大学でも盛んでしたが、ラグビーと違い、すぐに止まっちゃうプレイスタイルはブラインドサイドから突っ込んでいったりする意外性がなく頭脳プレイのようで、シロウトの私にはルールもサッパリわからず、高級な感じのするスポーツでした。今でもさっぱりわかりません。そのクラブが新設間もない港南台にあったのですからね。キッカケはどういうことだったのでしょう。あの当時、まだまだ認知度は高くなく、珍しいスポーツだったのだと思いますが。
あのヨロイみたいなやつ(すみません、本名わかりません)が必要なら、バットとグローブでやる野球だって、部にするくらいの費用あっただろうにと、ツイ思ってしまいます。
> そうなんですか。どうしても思い出せないんだよなぁ〜。もしかしたら、当日さぼったのかな。判らない。
おっと、また記憶違いかなぁ。でも私服でクラス揃って上野動物園に行ったことだけは確かです。
> 私も入学当初はハッキリ言って違和感の塊でしたね。でも時の経過とともに愛着が出てきました。陸上の大会に行っても、けっこう目立っていたりして、卒業時はけっこうイケてると思っていました。
この掲示板にもありましたが、最初はネクタイ、面倒でいやだったですね。でも今ではこのタイプが普通の制服になって、むしろ詰襟が珍しいくらいです。子供が高校に通い出しましたが、詰襟で、なんか逆に違和感があります。(あ、高校以来女性とは縁遠いまじめな人生!!?、を送り、結婚は遅く、子供はまだ高校です)
> 女子高生がいつもは持っていない紙袋をみんな提げていたようでした。青春だよねぇ〜。
当時はまだ今ほど盛んではなく、義理チョコなんていうのはきっと製造販売会社の宣伝でひろまったのだと思うのですが、本気チョコが陰で静かに手渡されていたように記憶しています。でも、一度としてそのような場面を迎えることのなかった私だけがそう思っているだけで、校舎の片隅で、或いは下校途中の公園で、なんていう場景があちこちで展開されていたのでしょうか。あまり校舎内でそういうシーンは見かけなかったように思います。後年、大学や会社内で大っぴらに義理チョコが手渡されていたのとはかなり違っていたように思いますが、いかがでしょう。
> ちなみに私は大学時代、書泉グランデ、と八重洲ブックのカバーが好きでした。
高校の頃、神保町の書泉グランデの書の泉という漢字にグランデという響きが、都会の高級感を漂わせていて、わざわざ足を延ばして行ったことが度々ありました。スポーツ、勉強とも逼塞していた私には、中央の文化に触れるみたいな雰囲気があって、昂揚感とともに訪れていました。今考えてみると、あの頃は純粋だったのだと言えるのかもしれません。
> 栄松堂のブックカバーの付け方、私も覚えています。そんなに丁寧に、と恐縮しそうになったものです。
お、覚えていますか。今、この話をできるのは恐らく数人程度ではないかと思います。あのカバーが付くと、難しい参考書でも親しみが持てて、分かり易くなったような気がしたものです。
>関内の有隣堂だったような気がします。あの頃、伊勢佐木町も今より元気があったように思います。
これには驚きました。一昨年、およそ三十数年ぶりに伊勢佐木町と有隣堂本店を訪れたとき、以前の高級感あふれる通りは普通の商店街のようになり、いったいこれが伊勢佐木町なのかと寂しくなりました。高校の帰りに友人と行くのでも、今日は伊勢佐木町の本店に行くのだ、という、普段と違うことをする日、という特別感すらあったように記憶しています。
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港南台高校 同窓会