開校当時のお話 掲示板

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> へぇ〜、としか感想が出ない、芸術オンチですが、創作っていうことはそれだけ発信するものがあったということなのだから、なんか羨ましい感じもします。
草創期から部活にも進取の勢いがあったってことでしょうね。何しろいきなりアメフト部ができちゃうくらいだもんな。
> この催しがあった記憶は確かだと思います。時期と学年は忘れてしまいましたが、三年の春だったような、秋だったような気がします。二期生は全てクラス毎に自分たちで決めて、そこに行った筈で
そうなんですか。どうしても思い出せないんだよなぁ〜。もしかしたら、当日さぼったのかな。判らない。
> 私も大船方面の友人にくっついて行きました。当時の保土ヶ谷駅は近距離専用の30円の自動販売機があるだけで、あとは昔ながらの駅員がいる窓口で、今は見ることのできない固い紙の切符を買いました。
固い紙の切符なつかしいなぁ〜。いつまであったんだろうな。改札で車掌さんにパチンて切ってもらうんだよね。混んでいると車掌さんがリズムをとるように切っていたんだよな。
> 若い方々には想像の範囲外でしょうが、そういう時代に詰襟服でないネクタイ姿の新設高校生として、我々は登場したのです。公立高校としては珍しいらしく、住宅街を歩いていると「どこの高校」と、尋ねられることもありました。
この掲示板でも当初の第何話かで書きましたが、当時県立高校でブレザーの制服というのは、初めてか二校目くらいだったのではないでしょうか。県立松陽高校か本校かいずれかだったのでは(未確認です)。
私も入学当初はハッキリ言って違和感の塊でしたね。でも時の経過とともに愛着が出てきました。
陸上の大会に行っても、けっこう目立っていたりして、卒業時はけっこうイケてると思っていました。
> 時節柄、きのう娘に「本気のチョコもらったことあるの」と訊かれ、「バァーロー、昔はな、女と喋っちゃいけなかったんだ!!」と返すしかない俺でした。
今年は、バレンタインデーが日曜日だったので、今日が本番だったんでしょうね。通勤時にみる女子高生がいつもは持っていない紙袋をみんな提げていたようでした。青春だよねぇ〜。
> 高校の帰りにダイヤモンド地下街の有隣堂と一緒に良く利用していました。栄松堂はそのブックカバーとともに最も印象に残っている高校時代の思い出となっています。
ちなみに私は大学時代、書泉グランデ、と八重洲ブックのカバーが好きでした。
> やっぱり外れにくいブックカバーの付け方をしてくれていました。
栄松堂のブックカバーの付け方、私も覚えています。そんなに丁寧に、と恐縮しそうになったものです。
参考書はどこで買ったっけなぁ? 関内の有隣堂だったような気かします。あの頃、伊勢佐木町も今より元気があったように思います。
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港南台高校 同窓会