開校当時のお話 掲示板

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> やっぱり費用だったんです。予算がないの一点張りで。でも今思えば他に揃えなければならないものが山ほどあったでしょうから、部の創設は優先順位からいけば低くて当たり前だったかも知れませんね。
確かにそうかもしれませんが、先生もできるところから、小さく産んで大きく育てるみたいにできなかったのかなぁ。まあ、今言ってもしかたのないことですが。
> そんなわけで、一年の時には野球好きの同級生4人で、能見台商店街の野球チームに加えてもらい、横浜高校グランドで日曜日の早朝野球をやっていました。
いいですね。積極的だったんですね。消極的で終始したこちらとは時間の凝縮ぶりが違いますね。あの頃、甲子園で球児たちが泣くのを見て男のクセに、などと見ていた自分は、泣くほどに自分をのめり込めさせることのできない中途半端な人間だったようです。今、彼らの涙を見ると羨ましく思うことのみ多く、恥ずかしい限りです。
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> 一年の秋には、長島の現役引退がありましたね。
あ、そうでしたっけ、後楽園球場が人工芝になったのは覚えています。新設なった港南台校舎の入り口に、靴の泥を落とす緑色のカーペットみたいな長方形のやつ、これが芝みたいで、みんなで人工芝だ、と言って靴の裏をこすりつけていたのを覚えています。
> 私たちの年代は、アニメ『巨人の星』で育ち、小学一年から中学三年までの九年間が、巨人のV9にかぶっていたので、何となく生活の中に野球が根付いていたように思います。
そう、巨人だけが勝っていたので私はアンチ巨人でした。中学はみんなアンチだったのに、港南台は巨人フアンばかり、なぜなんだろうって不思議でした。いや、こちらがヒネクレ者だったということか。
> 大学時代は六大学野球の応援で神宮球場にも行きましたし。
そう、この経験をすると、高校のときも応援したかったなあ、と痛切に思いました。応援団の指示で、一拍子から始まる応援、相手がツウアウトになると応援に備えるため、「ツウアウトになりましたので、タバコはやめて下さい」のお願いが入り、立ち上がります。この一体感、たまりませんねえ。
> 私は、交通の便がメッチャ悪いところに住んでいましたので、日野高校間借り時代は片道30分以上かけて歩いて通っていました。
お〜、やりますねえ。昔でいう苦学じゃないですか。
> ファンタゴールデンアップル500mlの早飲み競争とかやりました。鼻から噴いちゃったりして。おバカです。
目に浮かびますね。そう、鼻からでちゃうんですよ。ゴールデンアップル、久しぶりに聴きました。確かにそんなやつがあったような。こういう小物の名称がまた一つの思い出を呼び戻すんですよね。
> 特にこの数年は、母校の完校をきっかけにいろいろな記憶が甦って近しいものになっています。
完校という現実によってかえって過去の光が届いてくるような気がして、あの頃の光景が背景放射のように身を包んでくる時があります。
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港南台高校 同窓会