開校当時のお話 掲示板

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> おお、憧れの一期生ですね。なんか独特の雰囲気でしたよね、二期生とは違い、同じ高校とは思えず、別次元のものをお持ちでした。
自分たちとしては、ぜんぜん普通だったと思うんですけど
ねぇ。
別次元なんて、とんでもないです。
ただ今思えば、1期生って港南台高校に思い入れがありつつも
あっさりしていたというか、新しい学校を自分たちで作って
行こうと思いつつ、出来上がってしまえばすぐ次のことのに
関心が移ってしまうというような・・。
私だけのことかもしれませんが・・。
> そいつはやっぱり凄い。創立時っていうのが凄いですよね。どんな熱い気持ちがあったのでしょうか。
これもそんなたいしたもんじゃあなくて、最初に先生方が
自分の趣味で顧問をしたいと思う部活の候補をあげて、私
たちがそれぞれに希望しただけで・・。
初代の顧問のY先生が山好きで、出来たクラブのような門です。
後に、「山岳部でなければつまらない」とおっしゃっていましたが・・。
> ワンゲル、というと、やっぱりキスリングを背負い、食事はインスタントではなくちゃんと調理して、という具合に、クライミングや冬山にカリマーやさかいやのザックでチョロチョロしていた我々とは体力が違ってましたよね。
1期,2期までは結構軟弱な事やってましたねぇ。
ワンゲルというのは、合宿以外ではあまりやることがなくて、
普段はランニングしたり、サッカーやソフトボールしたり
していたので、「遊び部」などと呼ばれていました。
そういう意味では、2期の部員には申し訳なく思っています。
> ですよね、視聴覚教室のイメージありました。
視聴覚準備室では、いつもジョン・デンバーの曲がかかっていましたっけ。
> そいつは凄い、どちらもかなり手強い山じゃないですか。お名前を聞けばわかるか、私では通用しないクラブに入っていたのだろうと思います。
3期のI君は個性的なやつで、ある日「そのうち、二人でヨーロッパアルプス
に遠征に行きたいねぇ。」などと話していたら、1週間ほど
たったころに、「大学を辞めてきましたから、ヨーロッパ
いきましょう。」と言って、現役で入った国立大学を中退
してしまって、度肝を抜かされた思い出があります。
長谷川恒夫氏の遠征隊に参加してフィッツロイへ行き、その後しばらくの間アシスタントガイドをやっていました。
4期のM君,N君も確か長谷川恒夫氏の隊でナンガに行ったのだったと思います。
私はと言えば、散々回りを焚きつけて煽りまくっておきながら
中途半端なことしかやっておらず、後輩諸君を「ヤクザ」な
道に引っ張り込んでおきながら、これまた申し訳ない限りです。
> あはは、やりますなぁ〜。
> ゲレンデですか、それとも本チャンですか。
> わたしも卒業してから、ワンゲルだった友人誘ってザイルトレを教えたりもしました。
確か鷹取山だったと思います。
当時は、まだ登山靴でクライミングしていた頃です。
> それも凄い。社会人山岳会というと、まだ冬山にも行っているのでしょうか。あの緊張感、たまりませんよね、逃げ出したくなるような、息が詰まるような・・・
私も、雪崩で仲間を失ったり自分もヘリで運ばれたりと
言うような事もあって、子供が生まれてからは冬山からは
遠ざかっています。
現在は、ジム通いのプラスチッククライマーとなっています。
> それにブーリン結びは使われなくなるし、エイトカン確保は古くなるし、杖が当たり前になっているし、なんか疎外感ですよね。
私達は登山靴で登攀した最後の世代とかもしれないですよね。
> ただ、現在友人からクライミングジムに誘われているので・・。
ぜひ、はじめてみませんか。
横浜方面にお越しの際は、ジムに顔出してみてくださいよ。
いつの日か再びヨセミテの壁に取り付けるチャンスが訪れる
事を夢見ながら、今のレベルを維持すべく通ってますから・・。
未だに、高校生の時と全く変ってないかもしれないです。
ところで、話がそれまくってしまいましたが、良いんでしょうかねぇ。
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港南台高校 同窓会