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Re: Re: Re: 当時の様子第43話

2期 田舎おやぢ
(2009/10/21 13:40:32)

> 私は本校の法政大学合格第1号なんですよぉ〜。他は全部玉砕しましたので、そのまま法政大学に進みました。

お、いいですねぇ。話合いますね。話が長くなっちゃうなぁ〜、以下はお時間のあるときにお読みください。

私は一浪して明大でした。はっきりいってマグレです。同年に受けた他大学の国語の入試とそっくり同じ文章が明治に出て、オレ、ここ落ちたら受験生やめるわ、くらいのラッキーさです。

神宮球場でもすれ違っているかもしれませんね。
明法戦(法明戦?!)よく行きました。優勝争ってましたから。

>
> 大学本校舎が飯田橋でしたので、本の好きな私はすぐ近くの神田神保町の古本屋街を在学中はおそらく百回単位で
> というか年がら年中うろうろしていましたよぉ。

 私は高校の頃に一回旧友と来て、偶然平田先生にお会いしました。それから大学入学とともに徐々に入り浸りです。古瀬戸という喫茶店ご存知でしょうか。今でも週末利用しています。当時はドトールとかスタバがなかったので、激混みでしたね。また「いもや」の天ぷらも良くいきましたが、いつのまにかなくなってしまい、天丼の店だけが屋号を変えてやっています。なにかこの件知っていますでしょうか。

> 私は、大学では、私の出身が横浜というだけで、勝手に周りがハイカラという目でみていたようですが、私自身は我関せずでした。

そうそう、横浜というと、そういう目で見てくれました。

>
> 私はいろいろあって、大学時代は肉体労働が忙しく+常に欠食+酔っ払い状態でしたが、反面、目いっぱい勉強もしました。それは就職後に大変力になっていますよ。

私も肉体派でした。明大に入ると同時に山岳会に入り、実力が高い先輩がいたため、これにのめりこみました。高校時代ははっきりいって寝ていたようなもので、なにをやってもダメでしたが、大学にはいると同時に欲求不満をエネルギーにして危ない岩登りに夢中でした。あげく、出席日数と成績が悪くなって、中退するはめになり、これではいかんと大学を受け直すことにして、慶応の文学部に三年遅れで入学しました。慶応というと難しそうですが、これもラッキーです。当時の文学部の入試は英語が主で、それも文法なんかなく、ただ長文を読みこなせればいいというもので大学生向きの問題です。と、いうより、いくところがないという必死さだけです。誰にでも火事場の馬鹿力はあるでしょう。ただ、他に受けた大学は全滅でした。(そりゃそうだろう)

また、登山やっていると大盛り喰いになるんですよね。
喫茶店に入ってまで、コーヒー大盛りと言ってしまうくらいでした。いまだに大盛り喰って若い奴に意見されています。
(そうそう、登山用品店も神保町には多いんだよなあ、あとカレーライスとか、最近はラーメン屋も・・・話が終わりません)

神保町、最近変わってきました。昔ながらの古本屋がなくなってきて、コーヒーショップやファーストフード店に変わったりして寂しいです。
あと数年したら、古本屋は半減してしまうかもしれません。さぼうる、ランチョン、古瀬戸などは残ってますが、小林秀雄などが行っていたという文学喫茶はなくなってしまったようです。(老いのため名前ド忘れ)

>
> 話がとりとめなくなりすみません。田舎おやぢさんも元気でやってほしいなぁ〜。

こちらこそ、ついつい本題とは関係ない話で盛り上がってしまいました。

なにかの機会で、東京方面で港南台支部飲み会みたいなのがあれば、私が万端整えますので、宜しくお願い致します。


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