件名 |
Re: Re: Re: 当時の様子第84話〜オリンピック |
投稿者 |
2期 ハゲ田舎おやぢ |
投稿日時 |
2012/08/14 9:51:18 |
情報 |
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322; .NET CLR 2.0.50727; InfoPath.2) |
記事 |
> 私は自分がやっていたこともありますが、陸上競技というのは、何か人類の基本的な能力が一番発揮されやすい競技なのではないかということで興味深く観ています。 > すごい記録を出す選手としうのは、国とか人種を超えてすごいと思います。
確かにそうですね、基本的な能力ですから、審判の判定とかはなく、見ていても面白いのだと思います。 しろうとでも、凄さがわかる競技です。
> 確かに、日本人は体格ではかないませんが、その割には大健闘ではないでしょうか。
リレーは期待していたのですが、残念でした。 北京では、私ですら、盛り上がりましたから。
>今回、柔道などを見ていると日本の選手は各国から研究され尽くしている感じです。反面、日本はかなり研究不足なのではないかという気がしました。
柔道、最早見ていてもおもしろくなくなってきました。 ポイント取りと力によるゲームになってきました。審判判断もよくわからないし。
あれ、畳の上でやるから、体をくるっとかわして逃げられるのですが、コンクリートや床でやったら、そこで勝負はついています。ですから、一本なのですが。 あと、絞め技をもっと有効にしてくれれば、決着はちゃんと着くんだけどなぁ〜
今のは柔道ではなく、judo になってしまったから、一本を取る柔道などと言っている限り、金メダルは遠のく競技になりつつあるのではないでしょうか。
> 採点競技というのは、どうも純粋な技の出来栄えを超えたパワーが働く嫌いがありますね。何か素直に納得できない部分というか・・・・・選手が気の毒になる場合もあります。
そう、だからシンクロとかも、素人にはサッパリ判定がわかりません。 それに、あのツンツンした歩き方、なんとかならねぇのか、と思ってしまいます。 化粧も派手だし。いっそのこと、隈取りとか、なまはげとか、忍者スタイルとかで日本らしさだせばいいのに。
> 何かこの名前に印象深い出来事でもあったのでしょうか?
ありません。テストができなかった思い出だけです。 しかし、鬱屈した高校生活の、今となっては、とても懐かしい情景です。
> 旧ソ連は、柔道の無差別級(今は90s超級でしたっけ?)強かった印象があります。技をパワーで封じ込められるような・・・何か根本的なパワーの違いを感じます。
体格が違いますね。腕なんか、足だし。足は、胴だし。
> 荒木田裕子さん、白井貴子さん、横山樹理さんたちでしたっけ。メッチャ強かったです。パワーでも負けていませんでした。
よく覚えていますね。つよかったです。きっともの凄いシゴキみたいな練習したんでしょう。 あの時代は、まだシゴキとか、根性論がありましたから。 でも、根性、ひつようなんだけどなぁ〜
> そういう例は枚挙にいとまがありません。納得のゆかないことばかりです。これもスポーツを超えたパワーバランスに左右された部分なのでしよう。
金融から学問から、すべて白人世界の基準で満ちているようです。 我々が高校の頃は、まだアメリカ崇拝みたいなものがあって、戦勝国に対する劣等感みたいなものが根強かったと思います。
外国人といえば、金髪の欧米人でしたし、アジア人は、外国人とは言わなかったように思います。
アメリカの生活は、広い家に住んで、大きな車にのって、週末は旅行にいって、ステーキを食べて、自家用飛行機すらもっている夢の国みたいな感覚で見上げていたと思います。
そういえば、長島巨人に久しぶりに読んだ助っ人外人の、ライトとか、シピンとか、そんな選手だったと思いますが、アメリカ野球は格段に強いもの、という意識もありました。
日本人では絶対に敵わないというのが、野球をはじめとして、科学でも、経済でも感じられていたのではないでしょうか。
そんなとき、江崎先生がノーベル物理学賞を取ったんですよ。エサキダイオードのトンネル効果、という意味はしらないんだけど、名称だけは未だに覚えています。 インパクトあったなぁ〜、確か二年の頃じゃなかったかな。
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