件名 |
当時の様子第82話〜新しい県立高校 |
投稿者 |
2期 ハゲ田舎おやぢ |
投稿日時 |
2012/07/09 9:54:52 |
情報 |
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322; .NET CLR 2.0.50727; InfoPath.2) |
記事 |
卒業生は勿論なく、在校生は一年生だけ、自分達が入っても一年生と二年生だけの高校、最上級生はいないという高校に入ろうと積極的に思った人はどれだけいたでしょうか。英語の確か山本先生といったかと思いますが、男の先生が、或る中学校の或る校長が、そういう高校には行かない方が良い、と言っていたと憤慨していたのを覚えています。在校していた私でさえ、そうなのかもしれないと思ったくらいですから、世間ではそのように思う人は多かったのかもしれません。 しかし、です。空き地を活用してサッカー大会をやったり、顧問の先生がいないという理由でしぶる学校側を動かして新しい部を立ち上げたり、先輩のアドバイスも無い中、積極的に勉強して推薦で大学に入ったりと、若い青春の力を存分に活用して、新設高校の新しい夢を実現していった同級生や先輩がいました。 それらパイオニアワークを、卒業後三十年以上経った合同同窓会で知るに及んで、当時の私の、自分から沈んでいった情けなさが痛感されました。 環境ではなく、個人のパワーというものを信じることができた瞬間でした。 今思えば、通常では体験できないことを体験できた、とても楽しい日々だったように思えるのが、実に不思議です。 母校はその姿を変えてしまいましたが、これから港南台高校二期生として、旧制高校だらうが、進学校だろうが、スポーツ強豪校だろうが、負けずにホコリじゃない、誇りをもって過ごしていきたいと思っています。 |